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考察界隈に群がる人たち

最近では映画や小説に対する意見とか感想、批評ではなく考察(深読みや伏線回収の予想)が流行っている?とのことでその時代背景や社会の変化、要因について分析した内容になっています。単なる意見ではなく考察と言う分析を行ういうのはより深く読むということに繋がるようには感じるので必ずしも悪いことだとは言えないのでしょうが筆者は説明文でなければ絶対こう読んで欲しいという狙いがあるというよりはむしろ問いを投げかけて個々で考えてほしいと考えている分の方がウエイトは大きいのかなあ、とは思うので賛否両論といったところでしょう。またあえて解ける謎というところにとどまっている感もあり、この本で指摘されているように失敗をしたくない=正解を求めてしまう社会になりつつあるのかもしれません。 勧善懲悪という感じの白黒だけで片付けられてしまう社会はやはり面白くないのかなというのと実際にもそういったケースはさほど無いように個人的には思います。この年になって改めて感じるのはもやっとした正解のない状態=ネガティブ・ケイパビリティを楽しむ心です。違った意見があっても「ほう、そうきたか。」と構えられるくらいの余裕で多様性を楽しむ精神があった方がよほど幸せになれるのかなあと感じています。 筆者の指摘する現代社会の生き方の3要素は↓に。

1. 「情報」として消費する自分を自覚する

現代の考察文化は、物語を「感動する対象」ではなく、パズルのピースのような「情報(データ)」として処理する側面が強くなってしまいます。その状態を自覚しておくことです。

  • 提案: 「いま自分はパズルを解くように物語を楽しんでいるな」と自覚的になること。
  • 理由: 伏線回収や正解探しばかりに集中すると、作者が込めた「理屈では説明できない感情」や「ノイズ(無駄な部分)」を切り捨ててしまうからです。

2. 「正解」のない状態(ネガティブ・ケイパビリティ)を抱える

考察ブームの背景には「早く正解を知ってスッキリしたい」「タイパ良く理解したい」という現代人の焦りがあります。しかし、現実社会の問題には「これさえわかれば解決」という伏線回収のような正解はありません。

  • 提案: 物語の「わからない部分」や「モヤモヤする結末」を、そのまま受け止める力(ネガティブ・ケイパビリティ)を養うこと。
  • 理由: すべてを「考察」で白黒つけようとすると、現実の複雑さに耐えられなくなってしまう恐れがあるためです。

3. 「考察」から「批評(自分自身の対話)」へ

三宅さんは、「考察」「批評」を明確に区別することを勧めています。

項目考察 (Kousatsu)批評 (Hihyou)
目的作者が隠した「正解(設定・事実)」を当てるその作品が「自分や社会」にとってどういう意味を持つか考える
視点客観的・パズル的主観的・対話的
答え基本的に一つ(あるいは少数)読み手の数だけある
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仕事は半導体デバイス開発。 趣味としているEnduranceスポーツと 日常の出来事を綴ります。

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