Books

世界は基準値でできている

世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか (ブルーバックス B 2298) 新書 – 2025/6/19
永井 孝志 (著), 村上 道夫 (著), 小野 恭子 (著), 岸本 充生 (著)

基準値というのはしばしば議論になることが多いものです。そもそもどうやって決まったのか?その確からしさは何なのか?といったことですが基準値をどうやって決めているのかその背景と私たちの社会や生活にどう影響を与えているかを、最新の事例を交えて著者である4人の専門家(自称、基準値オタク)が解説した一冊です。「基準値」は純粋な科学的根拠があるというのがベースになるのですが、ところ変われば基準値が大きく変わるのはご存じの通り。いわば社会、文化、経済、倫理などが複雑に絡み合った「折り合いの産物」であることを解き明かします。特に興味を持ったのはオリンピック関連での男女の性の話,そしてトライアスロンの開催基準となった水質の話、そしてAIと個人情報の話です。詳細は以下に↓ 水質の話だと横浜港とかお台場とか結構、泳いでいてエグイところは多々経験してきましたが幸いそれによって体調は崩したことはありません。まあこの水質の話は社会的な期待(開催しないわけにはいかない)にも左右されているというのがあり基準というのは水物なところは否めないところはあると感じました。…

第1章:男と女の基準値 – トランスジェンダーとスポーツの基準

男女の違いというのは実は非常に区別が難しく過去の東京オリンピックでは4割の女子選手は適合していなかったということが明かされています。基準値として性ホルモンである性ホルモンであるテストステロンの血中濃度です。女性部門に参加するための条件として、一定期間(例:12ヶ月)テストステロン濃度を女性の基準値(例:5nmol/L未満)以下に保つことを義務付けるルールが導入されましたがホルモン治療によってテストステロン値を下げても、出生時の男性としての成長期に形成された骨格や肺活量などの優位性が完全に失われるわけではないとのことで特に思春期に男性として過ごしたかどうか?というのを基準として独自にポイントとなっているようです。ある意味「多様性の包摂」「公平性・安全性」という、スポーツが持つべき二つの重要な価値観を両立させるのが極めて困難である事例と言えそうです。

技団体傾向とルール
国際水泳連盟(FINA)【非常に厳格】 男性として思春期(12歳以降)をわずかでも経験したトランスジェンダー女性は、女子競技への出場を認めないと決定しました(2022年6月)。その代わりとして、性自認が出生時の性別と異なる選手のための「オープン」カテゴリーの設置を目指しています。
国際陸上競技連盟(WA)【厳格】 FINAと同様に、男性として思春期を過ごしたトランスジェンダー女性のエリートレベルでの女子競技への出場を認めない決定をしました(2023年3月)。
国際自転車競技連合(UCI)【厳格化】 当初はテストステロン基準を設けていましたが、2023年7月には男性の思春期を過ごした選手の女子競技への出場を禁止しました。
ワールドラグビー(IRB)【厳格】 安全性や筋力の優位性を重視し、プロ競技(エリートレベル)でのトランスジェンダー女性の参加を推奨しないガイドラインを発表しました(2020年10月)。

第4章 トライアスロンと水浴の基準値

1. セーヌ川と水質基準の葛藤

  • 問題の背景:
    • パリオリンピックのトライアスロン競技(スイム)やマラソンスイミングの会場として、長年遊泳が禁止されていたセーヌ川が使用される計画でした。
    • パリ市は約2300億円を投じて汚水対策(巨大貯水槽の建設など)を行い水質改善に努めましたが、競技直前に大雨が降ると、下水管の汚水や路上のゴミが川に流れ込む構造的な問題(合流式下水道)が露呈しました。
  • 基準値の不適合:
    • 競技前や公式練習では、水質検査の結果、大腸菌や腸球菌の数値が国際トライアスロン連盟(World Triathlon)が定めた競技実施の基準値を超過する日が相次ぎ、競技の延期や練習の中止が繰り返されました。
    • ある報道では、セーヌ川の水質が競技基準値内に収まっていたのは10日間のうちわずか2日間だけだった、という「不都合な数字」が暴露されました。
  • 「水浴の基準」と「競技の基準」の違い:
    • この章では、公衆衛生を守るための一般的な水浴の基準と、競技者が短時間接触する競技のための基準の違い、そして、その基準値の設定が「どの程度の健康リスクを許容するか」という社会的な判断の産物であることを考察しています。

2. 「セーヌ川だけが汚いのか」という問い

  • この章の副題にある「セーヌ川だけが汚いのか」は、他の都市の河川や水域と比較することで、基準値の意味を問い直しています。
  • 例えば、日本では水浴場の水質は「大腸菌が検出されないこと」など非常に厳格な基準(厚生労働省のプール基準など)が設けられている一方、報道では「セーヌ川の水質は大阪・道頓堀よりもよくない」といった具体的な比較がなされました。
  • 著者は、日本とフランスで採用している水質検査方法の違い(例:大腸菌数の規制値や検査方法)に触れ、単純な比較はできないとしつつも、基準値の「からくり」と科学を超えた社会的な認識が水質問題にどう影響しているかを掘り下げています。

結論として

第4章は、水質汚染という環境リスクに対し、オリンピックという国際的なイベントが直面した際に、「競技の公平性・安全性」「環境の基準」という二つの基準値がどのようにせめぎ合い、その判断がいかに政治的、社会的な重圧の中で下されるのか、という現実を描いています。


第11章:AIと個人情報の基準値 – 監視社会と倫理の基準

1. データの基準値とプライバシー

  • 個人情報の定義の基準:
    • AIのトレーニングには膨大なデータが必要ですが、どのデータが「個人情報」として保護の対象となるのか、その**基準値(線引き)**自体が曖昧になりつつあります。
    • 匿名化されたデータであっても、AIが他のデータと組み合わせることで個人を特定できる(再識別化)リスクがあり、匿名化の「基準」の有効性が問われています。
  • 「十分な匿名性」の基準:
    • 本書では、差分プライバシー(Differential Privacy)のような、データの統計的な有用性を保ちつつ、個人の特定を極めて困難にする新しい技術的な基準についても触れ、それが法的な「安全な基準」として機能し得るかを考察していると考えられます。

2. AIの「公平性」「透明性」の基準

AIが社会に深く浸透するにつれて、その判断が人間の生活に与える影響が大きくなっています。この章では、AIの倫理的な基準についても議論されます。

  • バイアスの基準:
    • AIの判断が、学習データに含まれる人種的、性別的なバイアスを反映し、採用や融資の審査などで不公平な結果を出す問題(アルゴリズム・バイアス)。何をもって「公平な判断」とするか、その公平性の基準値をどのように設計し、測定するかが課題です。
  • 説明責任の基準(透明性):
    • AIがなぜその判断を下したのかを人間に理解できるようにする(説明可能性:XAI)ことが求められています。AIの判断の「透明性の基準」をどこに設定し、ブラックボックス化をどこまで許容するか、という法的な議論も紹介されている可能性があります。

3. AI規制と国際的な基準競争

  • 世界の動き:
    • 各国や地域は、AIのリスクに対する基準値を設定しようと動いています。例えば、EUのAI法案は、AIシステムのリスクレベルに応じて厳格な規制を課すアプローチを取っており、これが世界的なデファクトスタンダード(事実上の基準)となる可能性について触れられているでしょう。
  • 「許容されるリスク」の基準:
    • AIの活用による利便性(医療の高度化など)と、リスク(監視、誤判断など)を天秤にかけ、社会として**「どの程度のリスクなら許容できるか」という社会的な基準値を、人間が主体となって決めていく必要性を強調しています。

総じて第11章は、AIという「未知のリスク」に対して、従来の法律や倫理観だけでは対応しきれなくなった現代において、いかに技術的な側面社会的な側面から新たな「基準値」を構築し、個人の権利と安全を守っていくか、という極めて重要な提言を行っていると言えます。

Please follow and like us:

仕事は半導体デバイス開発。 趣味としているEnduranceスポーツと 日常の出来事を綴ります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です