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千利休 侘びの前衛


街や公園の街路樹も少しづつ色づいてきました。本格的な紅葉のシーズンまであともう少し。

千利休―無言の前衛 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店

日本人とって飲み物と言えば緑茶/抹茶ほどなじみのあるものは無いのではないかと思います。日本人にとって単に習慣というだけでなく茶道という極めるものとして残っているというのは不思議なものです。お酒とかであれば特異な状態になるのである意味納得いかなくもないのですが。英国や中国にもお茶を楽しむという文化はありますが日本のように道として究めるというのは特殊なものと思います。その茶道の元祖が誰もが知る千利休です。この本は映画「利休」の脚本を担当した筆者の千利休との出会いと取材を通して感じたことを綴ったエッセイです。
茶道の世界は筆者のように自分も全く分かっていなかったので受け売りな部分もありますが侘び寂びという概念だけでなく利休の茶室のように縮小することを成熟としてとらえたり、無言で感じあうというという文化はある意味、前衛的なものです。茶道という分野は言葉で表現しにくいものがあるからこそ利休も沈黙で示すということに価値を置いたのですが同時代を生きた秀吉とはあまりにも対照的でコントラストが際立ちます。

 利休は晩年、「私が死ぬとお茶は廃れる」という言葉を残しています。これはどんどん形式化し言葉で表現しようとする茶道に対する危機感もあったようです。利休自身は形式というよりは無言で通じる感覚基盤というようなものを大切にしていたのではないかという予想なのですが言葉で伝えられない以上、わかった人しか受け継がれないわけで本当の利休が考える茶道というのは生きている間がすべてであったのかもしれません。ただそういった茶道の形式美というのを楽しむムというのが大多数の人がやっていることなのでしょう。ある意味森に身をうずめるというような匂いがします。それが文化を作っているようです。稽古事習い事というのはどうしてもそういう他力の思想が介在します。マラソンで言えば先頭集団より大きく外れたところの集団にいる気分です。

 前衛的と言いながらも利休の侘びに対する思想はなるべく自然に任せるということで行ってしまえば放置していて偶発的に起こるものを良しとしているわけで他力の思想であるのかもしれません。逆にそれが新鮮であったわけですがなんだかおもしろいところだと思います。

縮小が成熟という考え方は学ぶところがあると思います。我が家でもいつのまにか荷物が増え続けてしまう一方で…
車でもダウンサイジングが流行ですが無駄なものは増やさないようにしてきたいところです。

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仕事は半導体デバイス開発。 趣味としているEnduranceスポーツと 日常の出来事を綴ります。

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